「なんでも北海道」 函館版 「箱館戦争の足跡」をこのブログにまとめました。 今後ともよろしくお付き合い願います。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
二股口 台場山 再び (2)
丁度見通しが良く、何とか下りれそうな斜面を見つけて下りると、その辺り一帯は広い台地状(河岸台地みたいな)の地形でした。そこから先はもう一段崖となっており、簡単には河原に下りることが出来ません。最初の斜面から左手(北側)はすぐ崖状になっているのですが、それに沿って歩くとなんと“小尾根”があり、しかもその小尾根は河原へと続いているのでした。細い尾根を慎重に下ると、途中に散兵壕のような窪みがあり、もしかすると当時渡渉する際に造られたのかもしれません。当然尾根には木が生えておらず、尾根からずれた所に大きなブナの木があるくらいであり、勝手な推測ですが、この“小尾根”が下二股沢を渡って台場山へと向かうルートだったような気がしてなりません。

当時、両軍が対峙した際、近くて200歩離れて500歩程度の距離があったと伝えられています。そうすると、この“小尾根”は現在の台場山方面からはかなり近く、当時の台場山(339mピーク)山からでも丁度狙い撃ちされる距離にあり、一番危険なルートだったのではと思いました。


二股口再び
道路から河原までは一度崖を下って台地を横切り、さらに崖を下りなければ行けません。下る道を探していると、白く道筋らしいものが見えました。

二股口再び
道筋に沿って下ることに。丁度台地状地形の北端に沿っており、左手北側の林のすぐ左手が急な崖になっています。

二股口再び
下りてきた場所を眺めています(木にマーキングがされていました)。

二股口再び
下りた所から339mピーク~台場山を望んでいます。この辺りから右手は台地状なので、向かい側の台場山からは狙い撃ちされたと思われます。

二股口再び
左手林越しに見える「339mピーク」。木がなければ身の隠しようがなかったのでは。

二股口再び
台場山手前の台地と河原側の崖地。

二股口再び
「小尾根」です。これを見つけた時は何かドキドキしました。この尾根が旧道(鶉山道)だった可能性が高い。

二股口再び
小尾根の途中にあった「散兵壕」らしき窪み。根がないので倒木跡とも思えません。当時急ごしらえで官軍が造ったような気がします。

二股口再び
小尾根の突端に出ました。もう少しで河原です(川が二股になっています、当時は同じ流れだったのでしょうか?)。

二股口再び
下りた河原から小尾根を望んでいます。

二股口再び
小尾根北側眺めています。左手が急な崖になっていました。水量が少ないので渡渉は無問題です。








スポンサーサイト

テーマ:箱館戦争の足跡 - ジャンル:地域情報

二股口 台場山 再び (1)
二股口 台場山探索の第二弾です。

二股口 台場山 再び (1)
再び台場山へ、函館方面から望んでいます(台場山の稜線が見えます)。

二股口 台場山 再び (1)
パーキングエリア端から望んでいます(向きが逆で、すぐ右手に大野川への道と同じ台場山の稜線が見えます)。

二股口 台場山 再び (1)
二股岳登山道入り口の標柱。すぐ向こうに見える白い看板が「佐藤安之助の墓」の看板

二股口 台場山 再び (1)
正面に台場山を見ながら登山道へと入ります。

二股口 台場山 再び (1)
登山道の国道側から江差方面を望んでいます(先に見える頂上が尖った山が現在の「天狗山(当時は下天狗山とも呼ばれていた)。

二股口 台場山 再び (1)
同じく台場山方面を望んでいます(中央分離帯のあるところが下二股橋、左手稜線が台場山の裾野、右手が毛無山。

二股口 台場山 再び (1)
怖~い看板が建てられていました。何の事故だろう?

二股口 台場山 再び (1)
カーブした道路を大きく左に曲がると右手前には台地状の地形。先に国道が見えています。

二股口 台場山 再び (1)
同じ位置から台場山と台地状の地形。

二股口 台場山 再び (1)
同じく「339mピーク」と台地状の地形。

再び 七飯町 峠下台場山へ(3)
登ってきた道を望んでいます。カーブと毛無山が写っています。





テーマ:箱館戦争の足跡 - ジャンル:地域情報

二股口 台場山 (6)
強調文歴史書では、この台場山~339mピークにかけて16箇所の塹壕(胸壁)があったと伝えられ、「二股付近戦地図」にもその数が描かれています。そこで、でき強調文るだけ塹壕跡を探して見ようと思い、台場山の尾根沿いを山頂に向かって登ってみることに。夏はネマガリタケが凄かったのですが、先に降った雪の重みでネマガリタケが倒れており、割とスムーズに登る事が出来ました。とはいえ、熊さんがまだ冬眠中ではないようなのでかなり怖かったです。尾根沿いを登って70~80メートル歩いた頃から左手に国道227号線(函館方面)が見え始め、その辺りから塹壕跡らしきものが数箇所ありました。明らかにと思われる箇所が二ヶ所あり、周りにはまだらしきものが散在していました。

頂上手前の尾根には大きな広場らしき所があり、特に多く雪が積もっていました。この広場は尾根沿いの木を切って造られたと思われ、台場山を守っていた旧幕府軍の重要な陣地跡だったとも考えられます。また、この尾根からは「下二股沢川」側とと「鶉山道」~「中村はたごや」方面を眺望することが出来、大野川側の急斜面からや下二股沢川河原側から進撃してくる官軍からの防御拠点としてかなり人員が配置されていたと考えられます。

この日、色々思案しながらの探索でしたが、一人での探索には限界があると考え、あまり無理せずにこの場所から引き上げる事にしました。一度台場山から下りて裾野の北側を下二股沢川へと向かうと、らしき道があったので少し辿って歩きましたが、これも初めてのことだったので途中で引き返し、この日の探索を終えました。

この台場山に限らずですが、人手をかけてきちんと調査をしたら、他の塹壕跡などがまだ沢山発見されるものと思います。


二股口
台場山山頂付近尾根から国道227号線(函館方面)を望んでいます。

二股口
少しわかりづらいですが尾根にあった「塹壕跡?」と思われる窪地。

二股口
同じような窪地。

二股口
同じような窪地。

二股口
小さな散兵壕のような窪地。

二股口
広場のような場所。

二股口
現在の塹壕付近から看板のある「旧道」を眺めています。向かって右に行くと大野川方面。

二股口
逆に下二股沢川方面へと歩き、すぐ左手に台場山の北側斜面を望んでいます。

二股口
旧道があったと思われる場所に開けていた道路。川の方へのびています。林道?でしょうか。

二股口
再び戻ってきて「土方軍戦死者の御霊」が祭られているを望んでいます。この辺りが339mピークと台場山との谷間の中心部になります。

二股口
登ってきた道を戻るとすぐ先で左に折れますが、旧道は真っ直ぐ(この道ではないかもしれませんが)に延びて「中村はたごや」の西側に通じていたとおもわれます。


テーマ:箱館戦争の足跡 - ジャンル:地域情報

二股口 台場山(5)
台場山の塹壕跡へは夏以来の事。夏は草木が生い茂り、熊がよく出没する地域でもあるため、既存のルート以外の探索は非常に困難でした。この時期ならばと思い足を向けましたが、やはり怖いのは“熊さん”。雪が解けかけていたのではっきり確認できなかったのですが、らしき足跡が339mピーク方面に向かって残されていました。それでも、塹壕付近には足跡がなかったので少し安心しての探察です。

夏にはあまり大きさ(広さではなく)を感じなかった塹壕跡が思ったより大きいことに気が付きました。この塹壕、どうやら稲妻形(L字型)塹壕と呼ばれているようなのです。私は侵食によって繋がったのかな?と思いました。確かに大きく掘られた場所もあるのですが、塹壕というには少し幅が狭く浅い場所が散見されました。


二股口
橋を渡ったところから天狗山方面を望んでいます。このすぐ右手が台地上になっているので、国道227号線がなければ川の手前が崖、右手から大野川手前崖までは傾斜の緩やかな斜面があったと思われます。

二股口
函館側へ進んだ所。左手の斜面が右手(大野川側崖)まで続いていたと思います。

二股口
右手にある看板と標柱が台場山塹壕跡への入り口。「鶉山道」はその入り口のさらに向こうの斜面から現在の国道227号線を横切り、大野川に面してあった「中村はたごや」の西側に通じていたようです。

二股口
古戦場への取り付き。

二股口
途中、夏に倒れていた木がそのままありました。この辺では熊の足跡がなく気が楽でした。

二股口
塹壕跡の標識があり、これから少し登るとすぐ塹壕跡があります。

二股口
これが塹壕跡。夏は境界がはっきりせず、大きさがよくわからなかったのですが、今回行ってみるとかなり大きい事がわかりました。

二股口
稲妻型の塹壕なのでL型が複数あるようです。

二股口
塹壕跡に手向けられていた花。熱心な方がおられるようです。

二股口
塹壕跡沿いにロープが張られています。

二股口
これから先は未知の世界。





テーマ:箱館戦争の足跡 - ジャンル:地域情報

二股口 台場山 (4)
「前田はたごや跡」から台場山へと向かう途中にあるのが「新政府軍陣地」の大きな標柱と「佐藤安之助者の墓」の説明看板。お墓は国道から30m位入った所にありました。この時はまだ知らなかったのですが、このお墓のさらに北側に旧道(鶉街道)あったようです。ここから台場山に向かうとすぐ左手に「二股岳登山道入り口」の大きな標柱があり、この登山道を横切って下二股沢川へと「旧道(鶉山道)」は続いていたようです。

そして下二股橋を渡る事に。橋の上からは下二股沢川とその河原や河岸台地がはっきりと見え、橋のやや右手正面には339mピーク、すぐ右手に現在の台場山が目の前に迫ってきます。橋を渡るとすぐ左手に「土方歳三二股口激戦ノ地」の白い標柱がありました。ここには少し入ってみたのですが、道らしいものがなく、そのまま台場山の裾野に沿って道を下って二股口古戦場入り口まで歩き、そこから古戦場の塹壕跡へと向かいました。この時は知らなかったですが、この古戦場入り口へ下る途中、「中村はたごや跡」の西側へと下る「旧道(鶉山道)」を横切っています。


二股口
台場山を目指しています。白いワゴン車の左手に「新政府軍陣地」の標柱があります。道路正面に見えるのが「台場山」。

二股口
「新政府軍陣地」の標柱と「佐藤安之助者の墓」の説明看板。

二股口
「佐藤安之助者の墓」の説明看板。

二股口
きちんと道が作られ、お墓の後ろには大きな木が生えていました。

二股口
「佐藤安之助者」の墓。

二股口
南側の大野川の向こうを望んでいます。

二股口
橋から望んだ「339mピーク」と手前「台場山」。この二つの山の谷間に「旧道(鶉山道)」がありました。

二股口
判りにくいですが河岸台地と下二股沢川。向こうに見える崖側が台場山。

二股口
台場山裾野の「台地」。後で判るのですが、この台地がかなり広い。

二股口
橋を渡る寸前の所。何やら標柱が見えます。

二股口
建てられていたのが「土方歳三二股口激戦ノ地」の標柱でした。






テーマ:箱館戦争の足跡 - ジャンル:地域情報

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。